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危機

最近の我が家は暮らしにくい。
もちろん仕事場での息苦しさは変わらない。
地域は地域でなかなか面倒。
じゃあ、どこで息抜きすればいい?
酒でしょ。
いつ?
今でしょ!

と、そんなことではいけない。
金もないでしょ。
体調もイマイチでしょ。

こんなに行詰ってしまったときは?

ブッダだブッダ。悟りを開いて出家だ。家出して悟りを開くか?

そういえば、そうほうがんばったら一泊旅行だったよね。自費で(^_^;)

行きましょう!自分探しの旅に!一泊で悟りを開きましょう!(^^)!

おっちゃん、ミスター、会長、みんな、行きましょう!
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誕生日

今日は誕生日でした。特に誰もお祝いしてくれません。僕の両親は僕の誕生日を覚えていません。姉や弟の誕生日のことは良く覚えていますが、僕の誕生日は5月の20何日(たいていは25日と勘違いする。)までしか覚えていません。うちの次男も僕の誕生日を覚えません。妻や長男長女は僕の誕生日に関心がありません。姉や弟は僕の誕生日を知ってました。祖父や祖母は知っていたのかな。大事な孫のことだから大事にされていたと思うけど。誕生日に誕生日の話題が出ないのは、散髪していっても誰にもなんにも言われないあの感じに似ている。まあ、44歳にもなってそんなことを思っている方がおかしいか。

美作インター近くにナフコ、オープンしましたね(^J^)

ナフコってホームセンターだったんですね

食料品屋さんかと思ってた。

ホームセンターは楽しいのでまた行ってみよっと。

今日、こんな遅い時間にブログ更新しているのは、うたた寝してしまっていたからです。

明日も早起きして散歩しなくちゃ

やっと、池中玄太から離れつつある

年明けちゃったけど、年末の報告

28日、仕事納め。

29日、巨勢の実家で餅つき。

三臼ついたけど、しんどかった。でも、すごく楽しんでできたのでまたやろう。

旧正月も餅つきしようかな(*^_^*)

もちつき

30日、家族を妻の実家の岐阜まで車で送っていきました。高速料金も今はあまりやすくなくて往復で12,000円くらいかかりました。プラスガソリン代を1,000円としてがんばった割には22,000円かかってるんですよね
帰りは、岐阜から新幹線で帰ってきてもらう予定です。娘はバイトがあるので僕と留守番なので妻と男の子二人の3人分。岐阜から相生まで一人8,500円×3人分=25,500円。
僕が一日かけて岐阜まで往復した割にはお金はあんまり節約できてないんですよね。高速代安くして欲しいなあ。

31日、娘は午前中バイト、昼から弟が帰ってきてみんなで昼食。去年作ったカホンでギターと歌で遊びました。
夜はガキツカで娘とテレビの前で大爆笑。12時になるとすっごい音が、庭に出て花火を見て身体冷え切りました。あの冬の花火、ちょっと派手すぎじゃない。そして行く年来る年の中継を見て、(なんだ、あのガキンチョは美作市民の品位確実に落としたな)今に至る。

明日の元旦はウォーキング10日目の日、もう寝ます。あけましておめでとうございます。
娘も歩くって言ってたけど、どうかなあ

今年最後の落ちこぼれ英語同好会

まるっと2ヶ月、落ちこぼれたちが、英語同好会を続けることができた。
かなり奇跡的なことかも知れない。
やんわり、だらっとが続けるコツだね

先生にはイライラさせるかも知れないけど、僕らの性格や程度がだいたい分かってきたから笑っていてくれます。

ああ、ありがたい。

How are you?

I'm very excelente.

Why you excelente?

It's a secret.

今日一番の会話だったね

朝型にチェンジ

今のこのデブ人生、変える転機はいくつもあった。
あったはずだった。
高校生の頃は62キロくらいしかなかった。
高校生の頃はバク転もバック宙もできた。
大学2年くらいまでは酔っぱらってバック宙してた(側転つきで打点の高さ稼いで)。

デブ人生を変える転機、30歳の頃、マラソンに目覚めた。
ハーフマラソンを完走してさらに練習に励んだ。
励んだ結果、練習しすぎて膝が痛くなった。
休んでいたらまたデブ人生。

その他にもサッカーをしたシーズン、野球をがんばったシーズン、一時的にはよく痩せてたけど、今では、体を動かす気力もないほど太っている。

池中玄太と同じくらい太っている。

マズイ。

先ずは歩くこと、習慣づけること。

朝は早起きすること。

大切なことは早く済ますこと。

ちょっと、がんばってみます。

税務課の人たちとダイエットレースしているんだけど、今日途中経過を測定したらエントリー中僕一人だけ増えている。やばい

さらに今は忘年会シーズン、なかなか手を抜かない性格で毎日全力投球しちゃいます。

肝臓も胃も腸も肛門も悲鳴をあげながらがんばってます。

ほんの少しの心掛け。飲みすぎには注意しましょう

明日、年賀状作ろ(=^・^=)

明日、年賀状作ろうっと。
明日はまだ17日、明日作って送ることができれば、過去に例のない早い準備になる。
そう、いつものぎりぎりではなく、少し余裕をもって早めにやる。大事なことかも。って、思うけど、僕ってばけっこうギリギリでも間に合わすんだよね。なんでも

いやいやいや、せっかくやる気になっているのにいらんことを言うなバイキンマン
(僕の中でアンパンマン(いい心)とバイキンマン(悪い怠け者の心)が戦っているんですよね

って、そんなことを言ってる割に実のところは、19日月曜日の会議資料が全然できてないから、それを一日でも先送りにするために年賀状でもって発想になってる。よくわかってるんですよ。自分の性格

まあ、とにかく明日は一応休日なんで、のんびり起きてって…、チビ太郎と兄ちゃんが学校と部活だからのんびりってわけにいかないけどマイペースで一つ一つ片づけていこっと。

年賀状作ろうと思って、今年を振り返ると、まあ、いろいろやってますねこりゃあ1年間あっという間に終わるはずです。よそ様から見たら、めっちゃ充実した楽しい日々のように見えるかも知れない。けど、実のところは悩みや葛藤、苛立ち、不安、不満、けっこうストレスためながら、ストレス抜きながら、です。

でも全体的に見て、他人よりいい時間をよくばりに過ごしてきたと思う。どんどんよくばりになってきている気がする。いいことだ。

ただ、8時から5時までの仕事では、よくばりに生きられない。パッと切り替えできる人たちがうらやましくもあった一年だね

年末商戦

娘が、年末年始と近くの旅館にアルバイトに行くことになった。だから年末年始は自分の家で過ごすことになる。

えっ、当たり前のことじゃないと、思われるかも知れないけど、我が家は毎年妻の実家(岐阜)に帰省し、年越ししてきた経緯がある。

岐阜の長良川で元旦に行われる「長良川元旦マラソン」これに9年連続で参加し、7年連続でファミリー賞を受賞している。密かにこの大会の常連だったのである。しかし、元旦の朝に5キロのランニングは正直つらいよ
その元旦マラソン連続出場記録が途絶えたのは、今年の元旦マラソン確か年末忙しくて、申し込みが出来なかったのと、娘が受験だからと訳の分からん理由で出場しない宣言をしたこと。そして、結局のところ仕事納めの日に腰をギクっといわして、年末年始を腰痛と戦いながら過ごしたこと。(他の家族は元気に新幹線で岐阜に

で、今年は娘のバイトに付き合い正式な理由により家で留守番です。正直ホッとしています。他の連中は自動車で岐阜まで送って行ってあげるので、帰りはのんびり新幹線で帰ってきてねって感じです。

忘年会シーズン到来

金曜日、消防本部員で忘年会をやりました。
他の消防団と違って本部員はお金がなく、忘年会というよりただの飲み会です。
ただ、今回違っていたのは、金曜日の仕事が終わってから乗り合わせで岡山に行き、ビジネスホテルにチェックイン、そう岡山だけど一応一泊旅行です。普段より少し気分が大きくなって湯郷ではない2次会に行くのです。
2次会のことは詳しく書けませんが、かなり景気のいい店でした。でも、12月でその店のママさんが結婚するということで閉店らしいです。また、岡山に行ったら行こうかと思ってたのに残念です(^_^;)

泊まって二日目、一行の車は日生に、だけどこの時点で昨夜13人いたメンバーは6人に…。
6人で日生に行き、ゴミの市で福岡にいる友達に牡蠣をお歳暮にと送りました。「これで、お返しに明太子をおくってくるでしょう」福岡は他に何があるかなモツ鍋ちゃんぽんセットとかどうかな

ゴミの市でそれぞれ買い物したあとに、カキオコの店に、超満員でちょっと待ち時間があり、狭いところにごつい男が肩を寄せ合い小さくなって1000円のカキオコを一瞬で平らげ、店を出た瞬間、「うまかったけど腹いっぱいにならんな」といい、次は吉井の喫茶店キャプテン。「女帝」というマンガを夢中で読み、またうどんを食べ、珈琲で締め、家に帰ったのが3時頃。

少し休んで、土曜日はバレンタインホテルでふるさと塾一会の設立式と懇親会、いや~、二日続けてはけっこうしんどいですな。
今日日曜日はゆっくりできたのでよかったです。

いい話

なんか元気が出そうないい話を見つけたんで明日への糧にここに紹介します。
丸写しのコピペだけど、涙の出る話です。昨日大森先生が話してた柴田とよさんの詩も泣けたなあ(T_T)


ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからかその少年を
毛嫌いするようになった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。
先生はそう思った。

二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを行き抜いている
生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。