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人類には共通の暦がある/浜田省吾さん

8月26日、美作中学校吹奏楽部が尾岡山県の代表として中国大会に出場
中国大会は広島の文化交流会館ていうところであった。そう、あの広島平和資料館や原爆ドームのすぐ近く。
僕らは早起きして高速を飛ばし、会場で美作中学の演奏を聴いた。
出場校の演奏はどこの学校もよく訓練されていて、甲乙つけがたい素晴らしい演奏だった。
美作中学の演奏も本当に素晴らしく、先生の指導と生徒たちの練習の賜物だと感じた。
成績は銅賞ということだったが、極めて金賞に近い銅賞なんだと僕は感じている(例えその間に銀賞があってもそういう問題ではなくね)。彼らの今日までの練習こそが金賞であって彼らの財産なんです。結果はいつもいろいろです。現実はそんなにドラマチックじゃありません。一つ一つの積み重ね、勉強とか練習とか努力だけが確実に少しずつ自分の力の素になる。(練習した時間は無駄なことなんかじゃないよ)
一通り演奏を聴いた後、あまりの眠さと会場の冷房による冷えに耐えかねて、少し会場の外を散歩してみた。
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すぐ近くの平和資料館は以前にも入ったことがあるけど、原発事故のあった今年改めて入って勉強したかったが、ゆっくりじっくり観る時間はなさそうだったので、そのまま原爆ドームの方へ歩くことにした。
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原爆ドームの前では、被爆者が放射能の怖さを写真や資料を使って若い女の子に教えていた。一見チャラチャラした格好に見える彼女たちはその話を真剣に聞いていた。
大事な話に耳を傾けるか、楽しい芸能界の話だけ聞いて騒いで過ごすか、彼女たちは大きな財産と生きる力を得たと思う。そう、あの劣化ウラン弾の話なんかもしていた。海外の旅行者も真剣な面持ちで聞いていた。
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以下は広島世界平和ミッション2004~2005の中であの浜田省吾が投稿している文章を勝手に添付させてもらいました。今年の3月11日も日本の多くの人にとって共通の暦になるはずです。
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人類には共通の暦がある/浜田省吾さん


ルーレットは回り続けている
テーブルに積まれた切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを信じて賭けを続ける


憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに何故気づかないのか

愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い希望など崩れ落ちていく
(タイトル:「愛の世代の前に」 アルバム:「愛の世代の前に」より 1981年)

 人類が誕生し数百万年、欧米の暦では「B.C.」という記し方がある。キリスト登場前(Before Christ)と、それ以降という考え方だ。

 ということであるならば、今年は「A.C.」(After Christ)つまりキリスト登場後2004年となる。しかし、「暦」と言うものは民族や宗教によって異なるものだ。

 ところで私には「人類には共通の暦がある」という私見がある。それは、After Atomic Bomb(A.A.B.)だ。核兵器誕生以前の人類と、1945年8月以降の人類は全く違う時代を生きているのだ。A.A.B.60年になる。
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地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR

飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつかA NEW STYLE WAR

貧困は差別へと
怒りは暴力へと


受けいれるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所は無い
It's A NEW STYLE WAR

愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR
(タイトル:「A NEW STYLE WAR」 アルバム:「J-BOY」より  1986年)

1945年8月6日、父は広島県豊田郡の木江署に勤務していた。
「広島の弾薬貯蔵庫が爆発したらしい。」
「アメリカの新型爆弾らしい。」
情報が錯綜していた。
ある者はピンク色した大きな雲を西の空に見たと言う。


父に下された命令は、地元青年団員、医者、看護師を組織し、広島市に救助に赴け、というものだった。
救助隊と共に広島に向かった。


猛火のため市内に入れず、広島市周辺部で待機した。
熱にアスファルトが溶けた道。
市内から逃れてくる被災者達の容態。
火が衰え、市内に入って経験した状況。
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「生き地獄としか表現しようがない。」と父は言った。
その日、江田島から学習旅行で「原爆資料館」へ行った小学生の私に、父は1945年の夏の体験を話してくれた。
苦しそうだった、話したくなさそうだった。
思い出したくなかったに違いない。
しかし、息子に話す義務を感じていたのであろう。

戦後、私が生まれる前、父は内臓を悪くした。
髪が全て抜け落ち、顔が茶黒く2倍位に腫れ上がったという。
当時出回っていた粗末な酒のせいか、と思ったらしい。


「原爆資料館」を訪れた日から2週間後、朝刊の一面に「第三次世界大戦」という活字があった。
「キューバ危機」だった。悪夢にうなされる浅い眠りの日々が続いた。

1987年4月、父は膵臓癌(すいぞうがん)のため69才で逝った。
貧困の中で生まれ育ち、戦中戦後を生き抜き、子供達を育て、やっとゆとりが出来た頃、亡くなってしまった。

父を誇りに思っている。
深く感謝している、
私に人生を与えてくれたことを。
子供達の世代により良き人生を受け渡したい、と思う。

おろかな男達 権力にむらがり閉ざしていく 未来への最後のドア
混乱と憎悪と暴力に満ちているこの世界
祈りを銃弾に変え
壁は崩れ 溝は深まり 人を愛すにも命がけ

…罪人を誰が裁ける

今夜 お前はガソリンを燃やして 家族の待つ家へ帰る
「幸福」という名の車の「エゴ」という名の車輪を廻して

(タイトル:「裸の王達」 アルバム:「その永遠の一秒に」より 1993年)

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