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僕とスキーの履歴書

初めてスキーを足に装着したのは、小学5年生のとき、親父が町民スキーに連れて行ってくれた。画期的だった
僕は湯郷のまちをよくローラースケートで走り回っていたから、当然スキーもできると思っていた。しかし…、スキーを装着した瞬間僕の身体は後ろ向きに滑って行きどうすることもできず、どんどん下へ滑って行った。かろうじて横に転んで止まった恐ろしい、スキー恐ろしい
緩斜面の上からハの字にして降りろと言われたが、ローラースケートで馴らしていた僕には「はなんであんなダセーことせにゃいけんのな」みたいな感じで、まっすぐ降りた。やっぱりどうにもできないちょっとジャンプしてかろうじてスキーを横にして止まったが、こりゃ、おっさんたちの言うこときかにゃいけんなと理解した。
それからは、順調だった。ハの字にしてなぜか反対に体重を移すとその反対に曲がる、おもしろい。どんどんおもしろくなる。その年は、大茅にも連れて行ってもらった。
次の年は、お金に余裕のありそうな友達を町民スキーに誘っていった。(その当時は子供ながらに家庭に無理の効くやつをちゃんと選んで誘った。スキーはお金かかるからね。)その次の年も友達を誘っていった。もうスキーはほとんどプロ級にできるつもりでいた。

それからずっとスキーに行ってなくて、大学2年のときかなリーアーが僕の下宿でしきりに言うんです。「水木はデパガがおる」デパガというのは、デパートガールのことで、当時バブルの絶頂期の日本は女子たちが全員「私をスキーに連れてって」を夢見て、冬になるとユーミンソングがそんな気分を盛り上げてた。
そんなときに言うんです。「デパガがおるけん行こう」って、そこで、僕らが誘ったのはやっぱり幼馴染のメカドック、だけど、このときのメカドックはちょっとインドア派だったのか頑として「行かない」の一点張り、あきらめて声をかけたのもやっぱり幼馴染のノーヤー、この男は「デパガ」の誘惑にすぐに負け、大阪から名古屋の栄に出てきて、夜行バスに乗り込んだ。今日は、この辺にしときましょう(^_^;)
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